指図するだけだった父が動いた日 ~息子目線からの親父の変容~

おやじ達の変容

親父ヨガの世話役の坂本です。父がおやじヨガに出るようになり、日々瞑想にも取り組んでいます。このブログでは、そんな父の変容をたまに綴って行こうかと思っています。今日は今までと全く違う行動をしてみた親父に驚いたことについて。

以前の父

おやじヨガが始まり早一ヶ月が過ぎました。
今は実家にお邪魔しており、息子として、同居人として父を見ています。生活というリアルな現場で見ている中で、最も親父の変容を感じた 瞬間を書いてみようと思います。 以前も別のところで書きましたが、私は父の声を荒げることがしばしばありました。

何かちょっとしたミスをすると、不機嫌そうに顔をしかめて、大きな声でわめく。
小学校時代に例えば体操着の帽子を無くし出かけにバタバタする。 母は

「しょうがないわねぇ。どこにおいたのよー。」

とか 言いながら一緒に探してくれます。

若かりし頃の親父。風貌は中々あやしい。

ところがは親父はリビングでふんぞり帰りながら

「まったくしょうがねぇなー。自分で置いた場所くらい覚えておけよー!!しょうがねぇやつだな。」

と大声でわめく。

まぁ、頑固親父。 子供ながらすっげー嫌でした。 無くして焦っているのに、ただその嫌な気持ちを助長するだけの言葉。語調も荒いし、表情も硬い。しかも手伝ってもくれない。 なんて不条理なんだ!と。子供心に、そんな風に思ってました。しかも、父だって無くしたりもするのに、と。

こういった姿勢は私が大学生・社会人になっても変わらずでした。

純粋な好奇心

最近になって私自身の父への反発心もある種の恐怖心もなくなってきました。
そうなってみると純粋に興味が出てきたのです。

「なんで親父はこういう言動をするのだろう。」
と。

最近は親父のたたずまいも変わってきたのです。もしかしたら純粋に聞いてみるチャンスかもしれない、と。 そんな風に思っていた頃、ちょうど良いタイミングがありました。

それはこんなこと。
私の実家には雀がいます。

ことの経緯は家の前に飛べない雀がいて、そのままなら猫に食べられてしまいそうでした。 母が保護して、獣医さんに連れて行って治療してもらいました。獣医さん曰く、そのままなら生存が難しい、とのことでした。

東京都の自然環境部に連絡したら保護が必要で、我が家で保護することになったのです。ちなみに愛玩動物として飼うのはできません。基本的には外で怪我しても放っておくことが大事みたいです。

なのでうちにいる雀のピーちゃんはあくまで「保護」させてもらっている状況。 もちろん保護するためにも餌が必要です。時に小鳥用の餌や米、生き餌などたまにもあげます。

ここまでが前提です。

ある日の出来事

先日、夕方帰宅した母は小鳥用の餌を二袋持ってました。 ピーちゃんがいる出窓にそのまま何とはなしに置いたのです。 ちなみに私はすぐ横で皿を洗ってました。親父はリビングの椅子に座り、母の行動を見て言いました。

「そこに置いたら日が当たって悪くなるでしょー。そんなとこに置くかねー!」

いきなりまぁまぁのテンションです。表情も中々こわばっております。
驚いた母も

「今は夕方なんだからいいじゃない!また明日直せば良いじゃ無い!」

なんてちょっとだけ言い合いが始まりそうです。

私は、何となく「まぁまぁまぁ」とを諫めました。 それから、ふと父に聞きました。

「親父さー、前々からちょっと聞きたかったことがあるんだよね。」

そういってから、これも何となくですが少し時間を取りました。いぶかしそうに父はこちらを見ていました。

父の内省

おやじヨガに参加して瞑想する親父

それからいつも以上にゆっくりとした口調を心がけ尋ねました。

「親父の言うことには一理あるとは思うんだよね。だけど、それを自分でやってしまってもいいのかなと思うよ。」

過去の親父のイメージやそこから感じたことも淡々と伝えました。
その上で更に聞きました。

「それっておばあちゃん(父にとっての母)の影響もあるのかな。」 と。

すると父は自分の時間を使ってからに口を開きました。
「あぁ~、あるのかもしれない。」

そしてそうと言ったきり、しばらく黙ったままでした。 私も母も父が何か自分の内側を感じているようでした。なので、その様子をそれぞれ 別の作業をしながら何となく見守りました。

すると、リビングの椅子からおもむろに立ち上がりました。そして5歩、歩きました。出窓に近づいています。何をするのかと見守ると・・・。何と、無言でその餌を日陰に動かしたのです。


!!
!!!

これには私も母も相当驚きました。今まで数十年そんなことはありえなかったからです。いつも蚊帳の外から批判・避難・怒号を浴びせることはあっても、自分で動くとは全くあり得ませんでした。その驚いている私達に照れたように書斎に行ってしまいました。母と二人で

「これは、凄いね。こんなこと今までなかったね。」

とちょっと興奮しながら話しました。
その声が聞こえたようで 書斎から顔を出した父は

「すっごいストレスだった。」

と、でも満面の笑みで言ってきたのです。

心の滑らかさ

朝の瞑想会に出る親父

朝の瞑想会に出る親父

翌朝の瞑想会で少しその時のことを聞きました。
父はそのぴーちゃんの餌を自分で動かした後にどう感じたのかと聞くと

「滑らかだった。心が滑らかだった。」

その後、対話することで出てきたことは 今まで自動操縦のように行動していた。自分が何故そういう行動するのかを意識していなかった。でもああして鑑みた上で別の行動をしてみたら、より制限がなくなり自由を感じたということだったのです。

よく「自分の中に答えがある」と言いますが、私や母も親父の内的変容を目の当たりにして その言葉を改めてかみしめる機会になりました。

そしてもう一つ、
身体だけでなく頭も硬い人の方が瞑想を含むヨガは向いているのかも しれないってことを改めて感じることになりました。

ヨガは硬い方が向いている

母のヨガの師である成瀬先生

以下、ヨガ40年選手の母の師でありヨガの王様という異名を持つ成瀬先生の言葉です。

体の硬い人のほうが、ヨーガには向いているのです。体を動かしたときに、体を含めて自らの内側をつぶさに観察できるのは、体の軟らかい人ではなく、むしろ体の硬い人です。

体の軟らかい人は、無意識のうちに体を自由に動かせるので、自分への観察がおざなりになったりすることがままあるのです。

まさに、父は自らの内側を観たことの結果として行動に変化が出たのです。更にその行動を取った時にも再度自らの内側を観察したからこそ、「滑らか」になっている という気づきがあったのだと思います。

生活を共にしているので見えやすいですが、おやじヨガではこういった変化がどうやら起こって いるようなのです。

頭が硬い、身体が硬い、それはむしろヨガを始める最高の理由になるのかもしれません。

後日談

ちなみに、それ以降いつも率先して動いてくれているわけでは決してありません。おとぎ話のように、「末永く,幸せにくらしましたとさ。」とはなりません。

小さな葛藤や小競り合いもそりゃあります。

それでも「ちょっと何かが変わってきているのかな」といううっすらとした明るいものもあるのもまた変化でしょうね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました